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自作小説『天使』

2006年4月28日自作小説自作小説, 短編, 神楽堂

天使てんし

著者:榊 康生


「あぁ、あの、木についている木の葉が全て散ったっとき、私の命も尽きるのだわ」
病室の窓から見える木は、少しだけ冬を帯びた北風に吹かれる度に木の葉を地面に敷き詰め。枯れ木のようになびいている。
綾野(アヤノ)の少し甲高い声は、四人部屋に所せましと響いていた。
四人部屋といっても、この部屋には耳の悪い老女が同室しているだけで、10を少し超えた少女の話し相手になってくれるものはいない。
「また、そんな事いってるのか?」
少年は、部屋に入るなり少女に呆れ顔を向ける。
綾野の声は、廊下にまで聞こえてくる。
「きっと、誰かが私の為に命をかけて、あの木の葉を守ってくれるのよ」
「安心しろ、お前は盲腸だから死んだりしない」
綾野の迫真の演技にも、見舞いに来たクラスメイトの少年は感激することなく、さも付き合いきれないように授業のノートを鞄から取り出す。
「ぶ~っ、夢も希望もないこと言うんだから……」
「どっちが、夢も希望もないんだ? 来月からまた学校なんだからそんなことばっかり言うなよ」
クラス委員だからと先生に言われて、毎週一回授業のノートを渡しに来ている少年、杉山タケシは、ノートを渡しながら今週クラスで起こった出来事をかいつまんで話していく。
このクラス委員で誰にでも優しいタケシは、綾野に言わせれば、友達以上恋人未満の沢山いるボーイフレンドの一人である。もう少しルックスが良ければ恋人に格上げしても良いのだが、と天気の良い日は思ったりもする。
もちろん、このことは、綾野の頭の中だけで、タケシ本人ですら、勝手に友達以上恋人未満にされていることは知らなかった。
「あ~ぁ、また来月から、地獄のような勉強の日々か……」
「何が勉強の日々だ。どうせ、ろくに勉強なんかしてないだろ?」
「本当、あんたって、デリカシーのかけらもないわね」
「結構、けっこう、コケコッコウってね。そんな、何のたしにもならないものいらないって」
学校で配られたプリントを渡し終えると、鞄を取り立ち上がる。
「え~、もう帰っちゃうの!?」
少年は、振り向くと「もう渡すもの渡したから」と返事をする。
「そんな~、お見舞いにもらった果物とか食べていったら」
「ごめん、今日は塾だから」
少年は少し申し訳なさそうに、病室から出ていった。
綾野は、閉じられたドアを見ながら、既に退屈を感じ始めていた。

翌日、綾野はいつものように眩しさで目を覚ました。
病院の朝は早く、AM6:00には、病院内の明かりがつき、一日が始まる。夜は、PM9:00には、消灯され眠りに就く。
こんな一昔前の農民のような生活、現代人にさせるなと綾野は思うのだが、病院から出られないのだからしょうがない。
だが、この日はいつもとは違い、いつまでも夢の中でまどろんでいるような朝だった。
夢の中に天使が出てきて、何か言っていた。何だったのだろう?
朝食を食べた後、点滴をしに看護婦がやって来た時、綾野はまくしたてるように話し出した。
「あのね。あのね。私、天使を見たの」
看護婦は、事務的にうなずきながら、少女の腕に針を刺す。
「本当だよ。天使が来て、こう枕元で私に言うの」
綾野は、思わず点滴を指している腕を動かしそうになり看護婦に押さえられる。
「枕元でなにを言ったの?」
看護婦は、しょうがなさそうに少女に答える。そうしながらも、少女の体温を測り、血圧を測り始める。
「……なにを言ってたか覚えてないけど、本当にいたんだから」
「きっと、夢でも見てたのよ」
「夢じゃないよ、本当だよ」
綾野は一瞬しまったと思ったが、言ってしまった言葉は戻らない。
夢見がちな少女の言葉は、いつのまにか夢から現実に羽ばたいてしまった。
「はい、はい。それじゃあ、点滴終わったら呼んでね」
綾野がちょっと言い過ぎかなとあれほど(0.25秒ほど)悩んだのに看護婦は、綾野の言葉を無視して行ってしまった。
「ホントに天使、見たんだから!!」
思わずヒステリックに叫んでしまってから、もうどうにでもなれや的な気分でふて寝を決め込む。

お昼過ぎに彼はやってきた。
看護婦だと思って、そっぽを向いて横になった綾野は、いつもと違う感じに振り返った。
そこには、5、6歳ぐらいの男の子が松葉杖に支えられて立っていた。
見たところ病院の寝間着を着ているようだが、迷子だろうか?
それにしては、こっちをじっと見詰めている。
まさか、私に一目ぼれ? 美しすぎるって罪なのかしら? でも、お子様とは結婚できないのよ。って、私も子供か。
よく見ると、なかなか美男子の素質ありそうね。これは、将来楽しみかも。こうなったら、源氏物語のように……。
病弱そうな青白い顔をした男の子は、思いつめたように一回深呼吸をする。
「僕も……、僕も、天使を見たいんだ……」
消え入りそうな声で言うと、その場でせき込み始め。心配する綾野に力なく「だいじょうぶ」とうなずく。
しばらくしてせきが止まると、もう一度深呼吸して、ベットの隅にチョコンと座る。
「ごめん。本当に大丈夫だよ」
余り大丈夫そうには見えなかったが、綾野は言葉を飲み込み、別の言葉を口にしていた。
「天使のこと、信じてくれるの?」
「だって、お姉ちゃん見たんでしょ?」
男の子の声には、疑っている感じはまったくなかった。
「……うん。見たわよ」
綾野は一瞬だけ心に痛みが走ったように感じたが、それがなんなのか分からなかった。言葉は既に一人歩きを始めてしまっていた。
「どうして天使が見たいの?」
綾野は、なんとなく男の子と目を合わさずに尋ねた。
男の子は、それには答えず、満面の笑みを浮かべるとポッケに手を入れて、隠すように何かを取り出す。
「お姉ちゃんにだけ、見せてあげる」
男の子が両手を開くとそこには、大きな黒い羽がのっていた。
「な、なにこれ?」
「天使の羽根だよ。昨日、僕が寝ている間に来てくれたんだ」
綾野は、少し躊躇してから言葉を出す。
「……でも、この羽根……」
綾野は、今にも泣き出しそうな男の子を見て「黒い」と言いかけている言葉を飲み込む。
「黒くて大きな翼の天使だもん」
男の子は、涙を溜めた瞳を大きく見開いて綾野を凝視する。
「そ……、そういえば、私の見た天使も黒かったような……気がするな……」
今まで泣きそうだった男の子が、満面の笑みを浮かべる。綾野は、心が痛んだが、他になんていえば良かったの。と心の中で悪態つく。
男の子は、黒い羽根をポッケにしまうと小さいが確りした声で喋り出した。
「夢で、天使の声を聞いたんだ。そして起きたら、窓が空いていてこの羽根が落ちてたんだ。きっと、お姉ちゃんのところに来た後、僕のところにも来て、でも、僕が寝ていたから帰っちゃったんだ」
そこで、男の子は再びせき込み始めた。今度は前よりも酷く、さすがの綾野も看護婦を呼び出すブザーを押した。
しばらくして、看護婦が来ると慌てて男の子を抱きかかえて「一人で歩いちゃ駄目と言ってるじゃないの」と怒りつけながら男の子を連れていった。
男の子は、せき込みながらも綾野に手を振って出ていった。
男の子が、座っていたところにはポケットから落ちたのだろう、黒い羽根があった。
綾野が黒い羽根を取りに起き上がろうとすると手術の傷が少し痛んだが、先程の男の子のことを思い、少し無理をして羽根を取ると枕の下に隠した。
少しして、男の子を連れていった看護婦が戻ってきると綾野が叱られた。
綾野は自分は悪くないのにと思ったが、なんとなくそのまま聞いていた。男の子は、桐生直人(きりゅう なおと)といい、隣の個室に入院していると看護婦が言っていた。
隣に一人用の病室があるのは知っていたが、あの男の子だったとは驚きだった。
きっと、今朝の綾野の声が隣まで聞こえたのだろう。
結局、その日はもう男の子、直人くんは現れなかった。
そして、その翌日も、翌々日も男の子は姿を見せなかった。
綾野は、看護婦に毎日のように直人くんは元気か聞いたが、皆一様に口を濁しながら元気と言うだけだった。

直人くんがこの黒い羽根を落としていってから、10日後。
綾野は、久しぶりに学校のノートやプリントを持ってきたタケシに聞いてみた。
「ねぇ、この羽根って何の羽根かな?」
「カラスじゃないの」
タケシは、横目にちょっとみて、カラスと断定した。
「お願い、もっと確り見てよ!!」
綾野の突然の剣幕に驚きながら、黒い羽根を手に取りもう一度「カラスの羽根」と断言した。
「俺も道端で一回拾ったことあるけど、カラスの羽根って結構大きいんだよ」
綾野は、うすうす思っていたことに確証付けられた気分だった。
そうよね。こんな黒い羽根、カラスぐらいしかいないよね。天使だなんて……。

次の日、車椅子に乗った直人くんが姿を現した。
以前見た時と比べて明らかにやつれていた。だが、その声は前より確りとしていた。
綾野が黒い羽根を差し出すと、以前よりも輝くような満面の笑顔を浮かべて羽根を大事そうに受け取った。
「ねぇ、本当に大丈夫」
綾野の予想通り、男の子は「だいじょうぶ」とうなずく。
前より、やつれたにもかかわらず、男の子が力強く感じるのは気のせいだろうか。
「ねぇ、お姉ちゃん。また天使は来た?」
うっ……、天使が来たといえば嘘をついたことになるし、かといって来てないと言えば悲しませることになるし……。
う~ん……。どうしよう。どうせ、最初に天使を見たと嘘ついたのは私なんだし。この際、嘘でも直人くんが喜んでくれれば……。
ええ~ぃ。なるようになるしかないだわさ。
「天使は、来なかったんだね」
綾野が口を開くより一瞬早く男の子が口を開く。綾野は、内心ホッとしたが、できるだけ顔に出さないように苦労した。
「ごめんね」
綾野は、自分の嘘を責められてるような気がして、あやまりの言葉が口から出る。
「でも、きっと来るよ。だって、昨日のその前もずーっと、僕が寝てしまうと天使の声が聞こえるんだ。きっと、お姉ちゃんのところにも来るよ」
泣き出しそうになると思っていた予想に反して、男の子は満面の笑みを絶やさなかった。
「でも…、いつも寝ないようにしているんだけど、いつのまにか寝ちゃって……、だからまだ、天使を見たことないんだ」
男の子は、少しだけ悲しそうに言うと。力強くうなずいた。
「だから……、だから、もしお姉ちゃんのところにもう一度天使が来たら、僕を起こしてくれないかな」
綾野は、男の子の勢いに押されるように返事をする。男の子は、綾野の手を握り締め、もう一度「お願いします」というと車椅子を動かして病室を出ていった。
綾野は、まるで皮と骨だけのような直人くんの手の感触に驚き、声をかけることができなかった。
綾野は、クリスチャンでもないし、クリスマスはサンタでなく両親が贈り物をしてくれるのも知っていたが、初めて神様にお祈りした。「天使に会わせて下さい」と。

その夜、綾野は夜中に目を覚ました。
時間は分からなかったが、部屋は暗く、廊下の薄明かりで辛うじて回りを見渡すことができた。
喉の渇きを感じてベットの横のテーブルに置いてある水に手を伸ばす。
そこで初めて、すぐ側に何かが居ることに気がついた。
閉め忘れた窓から薄ら寒い風が染みてくる。
その風を吸い込むように、そこには黒く輝く彼が立っていた。
最初、また男の子が来たのかと思ったが、彼は折りたたまれた黒い翼を背に背負い、安らぎを感じさせる笑みを浮かべてベットより少し上に漂うようにたたずんでいた。
綾野は「待って」と声を出そうとするが、驚きの為か声がうまく出でない。
男の子を会わせなければと思う一身でベットから出ようともがく。まだ傷口は、完全に塞がりきっていないはずなのに、ほとんど傷みを感じない。
ベットから身を乗り出し立ち上がろうとするが、この数週間というものほとんど歩かなかったせいか、足に力が入らない。
壁に手をつき辛うじて立ち上がると、壁伝いに一歩一歩と男の子の部屋に進んで行く。
早くしなければ、という思いに反し足は思い通りに動かず。時間だけが、早く流れていく。
綾野は、やっとの思いで直人くんのいる病室のドアに辿り着くと。倒れ込むようにドアを開ける。ドアは鈍い音で壁にぶつかる。綾野は、なれのせいか段々思うように動くようになる足で部屋の中に入ると直人くんを呼ぶ。しかし、直人くんの返事はない。
病室を照らす月明かりの陰になるように、暗闇にベットがうずくまっている。
ベットに歩き出した綾野は、足をもつれさせてベットの上に倒れ込む。
咄嗟に「大丈夫」と声をかけるが答えは返ってこない。
綾野の下敷きになっているはずの直人くんの感触がない。
ベットは既に冷え切っており、そこには誰も寝ていなかった。
カーテンが揺れ、冷気が部屋に滑り込む。
うっすらと開かれている窓の隙間から夜風が流れてくる。
辺りを見回す綾野の目にごみ箱に捨てられている黒い羽根がとまる。
綾野は、ごみ箱に手を伸ばすと黒い羽根を拾い、もう一度辺りを見渡す。
ごみ箱に捨てられていた羽根以外、直人の存在を示すものはない。
月明かりが陰り、綾野が窓を見るとそこには彼が居た。

綾野は、いつものように病室の眩しさに目を覚ます。
AM6:00に起こされるなんて、一昔前の農家のようで、現代人にそれを強要するのは犯罪に近いと、綾野は本気で思っている。
今朝は、まだ夢の中でまどろんでいるような朝だった。
夢の中に天使が出てきて、何か言っていた。何だったんだろう?
朝食を食べた後、点滴をしに看護婦がやって来た時、綾野はまくしたてるように話し出した。
「あのね。あのね。私、天使を見たの」
看護婦は、事務的にうなずきながら、少女の腕に針を刺す。
「本当だよ。天使が来て、私に言うの」
綾野は、思わず点滴を刺している腕を動かしそうになり看護婦に押さえられる。
「なにを言ったの?」
看護婦は、しょうがなさそうに少女に答える。
「う~ん、覚えてないや」
看護婦はさもあきれたように、病室を出て行く。
少女は、看護婦が出ていったところに向かって、ヒステリックに叫ぼうとして止める。
窓の外を見ながら何か思い出すように口を開く。
「大丈夫、また来てくれるわよ」
何気なく枕の下を見るとそこには、黒い大きな羽根が置いてある。
「だって、天使が来てくれたんだもん」


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Posted by ともやす