自作小説『空手がいく(仮)』

2006年5月20日自作小説短編,神楽堂,自作小説

キーワード 【導くもの】 【怒り】


空手がいく(仮)カラテがいく(かり)

著者:榊 康生


「ぷはぁ~、美味(ウマ)いんだなぁ~これが」
美夏(ミカ)は、牛乳を飲み干したコップをテーブルの上に置くと再びコップに牛乳を入れた。
朝の稽古(ケイコ)とランニングの終わった後に、いつも牛乳を三杯飲む。それが美夏の習慣(シュウカン)になっていた。
稽古というのは、小学1年から続けている空手で、今では一端(イッパシ)の空手少女である。というとカッコは良いのだが、どちらかと言うと喧嘩(ケンカ)っ早い女の子といった方が近い。
ちなみに、喧嘩の戦績(センセキ)は連戦連勝、向かう所、敵なしである。
三杯目の牛乳を直立不動の姿勢で、腰に手を当て、一気に飲み干すと「ぷはぁ~、美味いんだなぁ~これが」と言う小学四年の女子というよりは、中年親父のようないつものセリフを口にした。ちなみにコップは45度に傾ける。コップが牛乳瓶だと、なおグッド。という、なんでも基本が大事だと理解している美夏であった。
コップをテーブルに置き時計を見ると、もう既に7時半を少し過ぎていた。
そして、誰も起きて来ない居間を見回し溜め息を吐く。
「もー、いっつも起きないんだから」
美夏以外の家族は皆、もの凄く朝を苦手としていた。
時折、自分は本当に血が繋(ツナ)がってるんだろうかと疑問(ギモン)に思う事すらある。
トースターにパンを入れ、こんがり焼き具合にタイマーを合わせると父親の寝室に向かった。
扉を開けるなり「起きろー!」と怒鳴(ドナ)り、敷布団(シキブトン)をめくって父親を布団から引きづり落とした。
畳の上でジタバタしている父親をそのまま残して、弟の部屋に向かう。
弟にも同じように怒鳴って、布団を取る。
寝ぼけながら布団を必死に取り戻そうとする弟から強引に布団を剥(ハ)ぎ取り押し入れの中にしまう。
布団を取られても、なお畳の上で膝を抱えて横に転がり必死に抵抗する弟を足で小突(コヅ)いてると、ふと机の上にある雑誌に目がいった。
雑誌はちょうど占い欄が開かれたまま机の上に置かれていた。
まったく、男のくせに占いなんか読んで。
そう思いながらも、ついつい占いに目がいってしまう。
『今日の獅子座は最高の1日。何をやっても良い事づくめ。ただし何があっても今日1日、怒らない事。怒ると福が逃げて最低最悪の1日になるでしょう』
最高の1日かぁ……。と思わず、自分の星座の占いを見て嬉しくなってしまう。
普段は占いなんか読んだりしないけど、やっぱり、最高の1日といわれて悪い気はしない。案外、弟も良い本読んでるじゃない。などと思いながらも、弟を足で小突き続けていた。
「早く起きないと遅刻するよ」
気をよくして少し優しく声を掛ける。
「うるせー、眠いんだよブス」
「な、なにお~……」
いつものように一発殴ってやろうと拳(コブシ)を上げた所で、ふと『怒ると福が逃げて最低最悪の1日になる』という先程の占いが頭を過(ヨ)ぎった。
「……おーい、早く起きないと遅刻しちゃうよ」
いつもなら、拳の一つも弟に喰らわせてやるところだが我慢(ガマン)して、再び優しい声を掛ける。
「…………」
弟は寝たふりをして返事をしようともしない。
「じゃー、先に朝ご飯食べてるからね」
少し投げやりに言うと、寝たふりをしている弟を放って置いて、そのまま居間に戻った。
居間では、未だ半分寝ぼけているような父親がパンを食べていた。
「おはよー、お父さん」
「おあ~よ~~……」
挨拶(アイサツ)なのか、あくびなのか分からないような返事を返して 、ぼ~っとパンを食べている。
美夏も自分のパンにイチゴジャムを塗って、食べ始める。
パンを食べながら、先程の占いのことを考えていた。
今日は、最高の1日かぁ~。最高と言われれば、今朝は凄く良い天気だったし、いつもと違って静かな朝のような気もするし、良い事ありそうな気もするな。
ほんと、静かね。
そう思い前を見てみると父親がパンをくわえたままテーブルに突っ伏す(ツップス)ように寝ていた。
「お父さん! 早く準備しないと会社遅刻しちゃうよ」
美夏の声に呻き声のような返事をしながら立ち上って居間を出ていく。
「いってきまぁ~す」
父の声に「いってらっしゃい」と言おうとして言葉が止まる……。
駆け足で玄関に向かい、玄関から出ようとしていた父親を止める。
「まだ、寝間着でしょ! スーツに着替えてから行ってよね」
寝間着(ネマキ)姿の父親が、言われて自分の服装に気づき、自分の部屋に戻っていった。
父がスーツ姿で会社に行くのを見届けてから、居間に戻り食べかけのパンを口に入れる。
もうそろそろ、出ないと学校に遅刻してしまう。
その時、まだ弟が起きて来ていないのに気づき、部屋に行く。
扉を開けると、いつの間にか押し入れから出した布団に入って寝ている弟の姿があった。
「こ、この……」
占いの『怒ると最低最悪な1日』というのを繰り返し思い出して、怒り出しそうな気持ちを必死に堪(コラ)える。
「もう遅刻しちゃうよ、本当に」
「…………」
完全に熟睡している弟を見下ろしながら、大きく溜め息を吐いた。

キーンコーンカーンコーン、キンコンカンコーン……。
3時限目の国語の授業が終わった。
美夏が、学校に着いたのは3時限目の中頃だった。
今時珍しい、昔気質(ムカシカタギ)な国語の先生は、大遅刻してきた美夏を廊下に立たせた。
そんな訳で、やっと自分の席に座れたのは3時限目が終わった休み時間だった。
「もー、最悪~~……」
へとへとになって机に突っ伏しながら、溜め息を吐いていた。
今朝、やっとの思いで弟を起こし学校に向かい走っている途中で大雨が降り出し、家に傘を取りに戻ったところ鍵をどこかに落としたらしくて家に入れず。雨の中、鍵を探して回っていた。
鍵を探している間にも犬に追われたり色々あったのだが、なんとか鍵を見つけ、無事に学校に到着する事が出来た。と思ったら、廊下に立たされた。
美夏でなくとも根を上げたくなりそーな運の悪さだった。
「うーん……、怒らないようにしてたのになぁ」
もしかしたら、今朝、ほんの少しだけ怒っちゃったのかな、私……。少し怒ってあれだけ酷(ヒド)い目に遭(ア)うなら、もう怒らないように気を付けないとな。
「今日は、どうしたの? 美夏らしくない、大遅刻なんてしちゃって」
仲の良い友達の紀子(ノリコ)が声をかけてきた。
「のり~、今日は、怒ると駄目みたいなんだ~」
机に突っ伏したまま、顔だけ紀子に向けて言った。
「へ??}
紀子は、訳の分からないことを言い出した親友の言葉に、きっかり3秒ほど固まった。

美夏は、とりあえず、今朝の経緯(イキサツ)を簡単に紀子に説明した。
もちろん、父親や弟を叩き起こしているとか、弟を足で小突いているとかいうのは、説明が長くなるのを避けるために省略している。
「へぇー、あの美夏が占いねぇー」
紀子は心底感心したような声を上げた。
「そ、そんなんじゃないよ……」
紀子は、必死に弁明(ベンメイ)する美夏を見ながら、微笑(ホホエ)ましくすら思えた。あの校内向かうところ敵なしの男女(オトコオンナ)と呼ばれてきた美夏が占いになんて興味を持ち始めたのだ。それだけでも快挙(カイキョ)だといえる。
「あの男女(オトコオンナ)が占いなんか信じてるんだ」
どこで聞いてたのか、いつも美夏に喧嘩で負かされている正雄(マサオ)がどこからともなく現われた。
「人の話を勝手に盗み聞きしないでよね」
「嫌なら、怒ってみせろよ男女(オトコオンナ)」
あからさまに馬鹿にした調子で美夏を挑発する。
美加は、頭の中で『怒ると最悪の1日』という占いを繰り返す。
「……ふん。家庭科の授業に行こう。のり」
正雄を勤めて無視しながら、家庭科の道具を持って席を立った。
後ろでは、正雄が「男女(オトコオンナ)」を連呼している。
正雄の方を見向きもせず、そのまま教室を出ていく。後ろから紀子がついてきているのがわかるが、振り向くと正雄も目に入ってくるので振り向かずにそのまま家庭科室に歩いていく。
後ろからは、正雄の声がまだ聞こえていたが、何を言ってるのか知ろうとも思わない。どうせ、悪口かなにかに決まっているんだから。
教室を出て、家庭科室に入ると、班(ハン)毎に別れている席に座った。
「よく我慢できたね」
隣に座った紀子が感心したように言った。「いつもなら拳の二つや三つとんでいるのに」とは、敢(ア)えて口にしなかった。
美夏は、しきりに感心している紀子に、そんなに私って喧嘩っ早く思われてるのかな? などと思ったりもしたが、答えが恐いので、聞いたりはしなかった。

その日の家庭科は調理実習だった。
美夏は、班に三個割り当てられたりんごの皮を剥いていた。
その時、再びお邪魔虫の正雄がやってきた。手にはりんごを持っている。
美夏は、正雄と目を合わさない様に反対を向く。
「へー、男女(オトコオンナ)でもりんごの皮ぐらい剥けるんだ?」
家でも料理をつくっている美夏にとって、正雄の言葉にプライドが傷つけられた。
「私だって、料理ぐらい出来ますよーだ」
はっと思ったときには、既に正雄に言葉を返していた。
反応があったことに気をよくした正雄は、より一層、悪口を並べ立てる。
「……あんた、他の班でしょ。自分の班に戻りなさい」
引きつった表情で、辛うじて平静に言った。
「男女(オトコオンナ)の言う事なんか、誰が聞くかよ」
調子に乗った正雄が、美夏の言葉を聞くはずもなかった。
「……も、もう一度、言ってみなさい」
今にも切れそうな、美夏を止めようと。紀子が「怒ったら、駄目よ。最悪の1日になっちゃうよ」と美夏に囁く。
「悔しかったら、怒ってみろよ。喧嘩しか能がない筋肉女」
正雄の悪態が美夏に油を注いだ。いや、注ぎ過ぎた。
「だ、大丈夫……。怒ったりしないよ。のり」
引きつった笑いと微かに震える声で紀子に答える。
だが、美夏の言葉に反するように、美夏の手に握られたりんごが、砕け散った。
その瞬間、美夏の周りにいた紀子と正雄が、凍り付いたように固まった。
「あら? このりんご、軟らかすぎるわね」
美夏は、大したことではないように平然と言った。
少しぐらい強い女と美夏のことを思っていた正雄は、自分の勘違いに気がついた。
どこの世の中に、りんごを握り潰す小学生四年生の女子がいるだろうか?
確かに今、偶然にも目の前に一人、りんごを握り潰す小学四年の女子がいる。
今、周りにいる女子が美夏と紀子の二人だから、二人に一人の女子が、りんごを握り潰せるという計算になる。
が、少なくとも、そこら辺にゴロゴロとりんごを握り潰せるような女子はいないはずだ。たぶん、いないと思いたい。いたら恐い。
その美夏の正雄を見る目には、メラメラ燃えるように『殺す』と書かれていた。
いや、書かれているはずはないのだが、正雄には、『殺す』という文字が見えたような気がした。
美夏の手が正雄に伸びる。
逃げようとしたが、体は思うように動かなかった。これが恐怖というものなのかもしれない。小学4年にして人生最大のピンチ。
美夏の手が、正雄の持っていたりんごを掴むと、握り潰した。
正雄は初めて死を覚悟した。人生が走馬灯(ソウマトウ)のように過ぎっていく。
「ごめん、正雄くん。手が滑っちゃった」
どこに手が滑ってりんごを握り潰す小学4年生の女子がいるだろうか?
だが、正雄の口から出た言葉は、蚊の鳴くような声で「そうか」だった。
「新しいりんご、先生からもらって来てくれるかな?」
正雄は、涙目で何度も頷くと、そのまま踵(キビス)を返して先生の所に行った。
先生に理由を聞かれたが、命の惜しい正雄には本当のことが言えなかった。
「ふぅ~。もう、大丈夫だよ」
美夏が紀子の方を向いて微笑む。まだ、少しぎこちないが、先程よりはかなりましに思える。
「それにしてもびっくりしちゃった。美夏がりんご握りつぶしちゃうんだもん」
紀子は、美夏の手のひらをジロジロと見比べる。
自分の手と見た目は変わらないのに、どこにあんな力があるのかしら?
「やだなぁ~。さっきのりんごは、ちょっと腐っていて柔らかかっただけだよ~」
紀子は、10秒ほど美夏の目を見詰めた。
目には嘘と書いていない。腐っていたかどうかはわからないが、美夏にとっては、柔らかかったのは事実みたいだ。
紀子は、秘密ファイルに美夏の7つの謎として後世に残すことにした。ちなみに、7つというのは語呂(ゴロ)が良いからだ。
家庭科の授業は、それから特になにもなく無事に終わった。
そして、正雄も家庭科の授業から近寄ってこなくなった。
その後、正雄は、何故かりんご嫌いになったという。りんごにトラウマでも出来たのだろうか?
それはともかく、美夏が今日は怒らないという話が、どう広がったのか、その日1日、美夏に喧嘩で連敗している生徒が次から次に美夏の前にリベンジに現われた。
その度に、鉛筆、筆入れ、バレーボール、壁や校長のブロンズ像まで、色々なものが犠牲となることで、怒らずに事無きを得た。
そして、紀子は、1日で秘密ファイルが溢れてしまったという。

「も~、最低の1日だったよ~」
学校を終え、疲れきって家に帰ってきた美夏は、弟の部屋に向かった。
弟の机の上に載せてある雑誌を手に取る。
「何が、『今日の獅子座は最高の1日。何をやっても良い事づくめ。ただし何があっても今日1日、怒らない事。怒ると福が逃げて最低最悪の1日になる』よ。全然、最低の1日じゃないか!」
朝も散々(サンザン)なら、学校でも散々だったし、学校帰りも散々だった。
占い通りに怒らないで過ごしてたのに~。もう、最低だよ。占いなんて、もう信じないんだから。
とりあえず、占いに八つ当たりして、雑誌を閉じる。
「へ?」
雑誌の表紙を見た美夏の目が点になる。
「うそ~?!」
雑誌を取り、何度も色々な角度からみても、やはり先月の雑誌だった。
「じゃー、やっぱり。占いも先月の占い? もー最低」
もう占いを信じないと決めたのだが、やはり本当はどんな占いだったのか気になり先月の雑誌を放り出して、弟の机を漁(アサ)って今月の雑誌を見つけ出す。
『獅子座の今日の運勢は、悪い事もありますが、怒ると逃げて、良い1日になるでしょう』
なによ~、こんなことなら、最初から怒ってれば良かった。
こうなったら、今からでも今日、私に喧嘩吹っかけてきた奴等を殴ってこよう。
思い立つが早いが、そのまま家を出ていった。

次の日から、しばらくの間、『影の番長』と言われたり、よく分からない子分につきまとわれたりすることになるが、今の美夏には知るよしもなかった。


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Posted by ともやす