自作小説『剣とぬいぐるみ』~第一章『魔女とぬいぐるみ』
『魔女とぬいぐるみ』
著者:榊 康生
彼女は、一国の姫でありました。
肌は粉雪のように白く、短い春に咲く春日草のように可憐な女の子でした。
しかし彼女は、体が弱く、あまり外に出歩くことはできませんでした。だから、遊び場は、いつも城の中でした。
その彼女は、いつも二つのぬいぐるみを肌身はなさず持ち歩いていました。
一つは、お姫様の格好をしたぬいぐるみで、名をヒルデ。もう一つは騎士のぬいぐるみで、エリックという名付けていました。
彼女とぬいぐるみ達は大の仲良しでした。楽しい時は一緒に笑い、哀しい時は一緒に泣きました。
彼女の国は、大陸の北の果てにある小さな小さな国でありました。
厚い雪と氷に閉ざされた長い極寒の冬と瞬きのように短い夏。過酷な自然が人々を虐げている地でありました。
王も民も貧しい国でありました。
しかし、それ故、互いの絆が深い国でもありました。
民同士が助け合い、王も民のために最善を尽くして厳しい冬を乗り越えていました。
民は、短い夏中、勤勉に働き。冬は、厳しい自然に虐げられながら細々と耐えていました。
王は、税を抑え、冬の厳しい年には、穀物や毛布などを配り民を助けていました。
それでも幼子や老人など、弱い者達の中には冬を乗り越えられない者が幾人もいました。
彼女もそのことに心を痛めていました。
この地方には昔から一つの伝承がありました。
北の果て、いくつもの雪と氷の山を越えたところに氷の魔女の城があり。その氷の魔女の城より、冬は始まる。という伝承でした。
「もし、氷の魔女に会うことが出来たら。冬を厳しくしないで下さいって頼むのにね」それが、姫の口癖でした。
お姫様のぬいぐるみも、騎士のぬいぐるみも、そんなお姫様が大好きで、何か力になりたいと思っていました。
そんなある日、城に賊が忍び込んできました。
賊は、幾つかの宝物を盗んで行きました。そして、その宝物の中にお姫様のぬいぐるみも紛れていました。
賊は、城の追っ手から逃げるため、幾日も行く晩も逃げました。雪の山を、氷の山を幾つも越えて逃げました。そして、城からも町からも遠く遠く離れ、既に追ってくる者たちはいませんでした。
しかし、賊達は、氷の山で吹雪に行く手を遮られ、誤って崖から落ちてしまいました。そして、二度と人の住む場所に戻ることは出来ませんでした。
賊達に持ち出された、お姫様の人形は、運良く崖から落ちる賊達の荷物から滑り落ち崖の上にちょこんと横たわっていました。
お姫様のぬいぐるみは、大好きな女の子を呼びました。
騎士のぬいぐるみを呼びました。
しかし、遠い遠い氷の山には誰も助けは来ませんでした。
それから、幾百もの朝と夜が通り過ぎました。
そして、やっとやってくるものがありました。
しかし、それは人ではありませんでした。氷の魔女が使い魔にしていると言われている氷の魔物でした。
氷の魔物は、お姫様のぬいぐるみを見つけると氷の魔女のところに持ち帰りました。
氷の魔女は、気まぐれからお姫様の人形にかりそめの体を与えました。見た目は人間のそれと何ら変わりませんが、氷で出来た体です。
お姫様のぬいぐるみは、城に帰りたいと思いました。しかし、城の場所もわかりません。
氷の魔女は言いました。「助けてやったんだから、働いて恩を返すんだよ」
お姫様のぬいぐるみは、氷の魔女の下女として一生懸命働きました。
朝と夜が千と一回通り過ぎました。
お姫様のぬいぐるみは、十分恩を返したと思いました。
そしてある日、氷の魔女の元に行きました。
「私を城に帰して下さい」と言いました。
氷の魔女は、黙って聞いていました。
「それと、あまり冬を厳しくしないで下さい」とお願いしました。
お姫様のぬいぐるみは、大好きだった女の子が、氷の魔女に会ったら冬を厳しくしない様にお願いすると言っていた言葉を思い出したのです。
氷の魔女は、黙って聞いていました。長いこと黙っていましたが、やがて口を開きました。
氷の魔女の言葉はこうでした。
「お前の記憶をくれるなら、代わりに氷の魔女の力をくれてやろう。後は、力を使って好きなようにすれば良い」
お姫様のぬいぐるみは、喜びました。
氷の魔女の力があれば、冬を厳しくしない様にできるだろうし、お城に帰ることもできると思いました。
そして、お姫様のぬいぐるみの記憶と氷の魔女の力が入れ替わりました。
氷の魔女は、力を失い倒れました。
氷の魔女は、その強大な力で多くのものを手に入れていました。総てを力と恐怖で手に入れてきました。
だけど、たった一つ、楽しい記憶というものが一つもありませんでした。
ですから、氷の魔女の力を失うことになっても、最後は楽しい記憶を胸にしたいと思っていました。
しかし、氷の魔女は、魔女の力で何百年も生き続けていたので、力を失った途端、氷の魔女は死んでしまいました。
お姫様のぬいぐるみは、ただ、呆然と立っていました。
目の前には老女の死体があります。ですが、それが誰かすら分かりません。
記憶がなくなってしまったからです。
もう、城のことも冬を厳しくしないという願いも覚えていません。
ただ、自分がいるのが氷の魔女の城であり、自分が氷の魔女の力を持っているというのだけは、力と一緒に流れてきた知識で分かっていました。
そして、その日から、新たな氷の魔女が誕生しました。
氷の魔女は、力と恐怖で持って、人々を虐げました。
そしてある日、ある一つの小国の名前を耳にしました。
記憶にはないその小国の名前を聞いたとき、氷の魔女の心がチクリと痛みました。
たまには、城を出るのも悪くない。
そう思うと氷の魔女は、向かいました。記憶にはない小さな小さな国へと…。
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